五山の送り火
五山の送り火、行ってまいりました(・∀・)
今年は、えらい急に燃え上がって
あっという間に消えた気がします(;^ω^)
台風の翌日、というのもあったのでしょうかね(;^ω^)
まだ風は強い状態でしたが。
それにしても当日はお天気が回復してよかったよかった。
大ボスが亡くなった初盆、
大ボスのお宅で恒例で開催されていた五山の送り火の集まりに来ていたのは
約20名ほどでした。
5年前に案内のチラシを貰っていたので
それを引っ張り出し、そこに載っていた地図と時間を頼りに行ったのですが
みなさん1時間以上早く来ていたそうです(;^ω^)
わざわざ時間つぶしていったのに~。
メニューは
鶏の唐揚げ、
枝豆、
お寿司、
ちらし寿司、
スイートポテト、
サラダ、
京都らしく生麩の田楽、などなど。
などなどが山のように、それこそ50人分くらいありまして(;^ω^)
そして山のように残っていた(;^ω^)
客用の冷蔵庫なんかもあり、飲み物はそこから自由に取れるようになっており(;^ω^)
後からすいかとぶどうがいっぱい出てきて(;^ω^)
客が広間で会話する中、ご自身と息子さんはキッチンの片隅のテーブルで様子を見ぃ見ぃ、時間を見つけて食べ物に箸をつけている感じです。
奥様は大変でしょう。
これをずっと、毎年毎年続けてきていたんですね。
内助の功というのか、いや、これは本当に大変。
集まった20名は、大ボスの指導を受けていた人がほとんどでした。
せっかくなので、一人ひとり、
どんなふうに大ボスと関わったかなどを話していきました。
いかに大ボスが勤勉であったか。
どんなにソフトボールやボーリングが好きだったか。
どんなに偉大で優秀であったか。最新のニュースを報告に行ったら、もうすでにそれを手に持っていて「知っとるわぁ」「遅い!」「もっと勉強しろ~」と言っていたとか。
どんなに面倒見がよかったか。
今から仕事を辞めるという人に、「私の名刺が必要でしょう」と自分の名刺を渡したとか。真意は謎(;^ω^)
しかし、代が若くなるに連れ、関わりも少なくなっていったようで
23,4歳の子たちの印象は「僕たちはあまり関わらず、本当に『時々くるおじいちゃん』という感じだった」と、3人が3人とも言ってました(;^ω^)言うなよ(;^ω^)
お忙しすぎたのね。
そして、指導も若いものに任せたりしていたということもあったのかも。
大ボスに育てられた人たちはみなさん非常に優秀な方たちばかりで
私は恥ずかしくて消え入りたくなります。
若いときは知らなかったけど、こんな世界があったんだなと みなさんのお話を聞いていて思います。
そうやって、以前は刺激を受けたりしていたけど
今はもう、開き直りなのか
自分は自分のできることをしっかりやろうと思えて、
年取ったなぁと思います(∩´∀`)∩
一人、次の日に結婚しまぁす(∩´∀`)∩ と結婚の発表があったり。
そういえば、数年前にも「実は結婚します!」とこの会で報告があったな(゚∀゚)
こういう会を毎年開催できるって
しんどいし大変だけれども
素晴らしいなって
大ボスが沢山の人を育てていたのだなと
こういう時代は素晴らしかった
でももしかしたらもう来ないのかもしれない。
みなさん終電とかお泊りのようでしたが
私はひと足早く帰らせてもらいました。
それでもクタクタ(;^ω^)
私、こういうときは
折角の機会だから、夜通し語り明かしたいと思うタイプだったのにな~
落ち着いたのやら、年取ったのやら(;^ω^)